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「KILLZOPHES 零」の製作について

Killozophesとして初めてのミニアルバムを発売した。

もともとトラックメーカーとしてこのプロジェクトを始めたが、劇団の曲作成など様々な表現に触れて改めて自分の曲を作ることにした。アルバムの前書きのような形として、自分でやろうとしてことを記しておこうと思う。


アルバム作成のきっかけ

そもそもなぜ今回アルバムを出したのか。前述の通り、トラックメーカーとしてのプロジェクトではあるが、オンラインだけでの活動には限定したくなかった。それはロックバンドへの憧れから強固になった音楽への気持ちが拭えないからだと思う。昨年からライブをしようと考えていたが、今となってはこのコロナ禍である。ライブをしようにもマイナス要因が非常に多い。そんな中、自身が作曲として携わっているギロチンメソッド の主宰・竹田航からイベントをやるのでそこで物販をしないかという声がかかった。ほぼ1ヶ月前という急な誘いではあったが快諾した。

そこからはアルバム作成を急ピッチで進めることになった。歌を入れ、アルバム収録の曲を決めジャケットの作成には1週間前に紙ジャケットを購入。2日前にはブックレットの印刷と裁断を行いなんとか間に合わせることができた。





インストから歌へ

個人なチャレンジは歌を入れることだった。これまでKILLOZOPHES作品はインストだったがなぜ歌を入れたか。それは今回目指したのは生命感のある音だからだ。これまでの作成手法は「打ち込み」というが、全部PC内で済ませている。つまりは機械が指示通りに音をだす音楽であり、この打ち込みの欠点は無機質なところだ。もちろん打ち込みの質を高めれば、有機的な音に近づけるがやはり無機質な音には限界がある。無機質な音が悪いというのではなく、綺麗すぎるのは迫力に欠ける。自分の考えではよりよい音楽というものは(芸術一般も)様々な要素の緊張関係が感じとられる。例えばメジャーの音とマイナーの音、澄んだ音と濁った音、鋭い音と柔らかい音。したがってただ無機質なものは良い音楽とは言えないと考えている。その考えから生命感を与えるものとして歌を入れることにした。


言語について

歌詞、曲名は全て日本語にした。英語にするのも良いのだが、日本語の方がわかりやすいことに加えて、英語なら何でもかっこいい感じがするというその安易さを避けたかった。ただし日本語の歌を入れることもなかなか個人的には難しいことだった。普段洋楽を多く聴くことから、日本語の歌をうまく作るイメージが湧かなかった。英語のように子音で打楽器のような音の感じが出せない一方、英語よりも曖昧な表現が可能なのが日本語の特徴なので、浮遊感のある音に合わせることにした。


曲調と繰り返しについて

もともとはダークなグルーブを基調としたアルバムを作ろうと目論んでいたのだが、(例えばMassive Attackなど)今回は日本語の楽曲に落とし込むことはできなかった。壁としては上記の通り日本語の歯切れの悪さにある。そういう挫折から方針を切り替えて日本語で作りやすい曲を作ろうと決めた。最終的には繰り返しを多用としたかすみがかかったような音になっていった。繰り返しが多用できるのは音楽の強みだ。よくあるポップソングも基本的には繰り返しだ。A→B→サビ→A→B→サビが繰り返されても飽きることはない。この繰り返しによって生じるのはサビが来るという期待である。こういった構成上の繰り返しと異なり自分の曲は繰り返しているのだが、短いサイクルでの繰り返しである。A→A’→A’’→A’’’といった微妙な変化を伴った繰り返しである。聴き慣れない人にとっては、アルバムの曲は期待を裏切っているような曲が多いと思っている。これは短いフレーズが徐々に変化していくため、次の展開を期待することがなかなか難しい。逆に期待をしないことから、落ち着いた雰囲気を保つことができていると考えている。次は大きい展開がくるというのは緊張感を作り出すが、繰り返しが徐々に変化していく曲の構成ではそのような緊張感は薄れる。


そういった経緯から今回のアルバムはしっとりとした雰囲気と曲と内省的な歌詞で構成されている。夜、水、澄んだ空気、逍遥、そういった行き場のない感じの音が出来上がった。自分としては2曲目から3曲目への海のイメージが良い出来になったと思っている。


今回のアルバム「KILLOZOPHES 零」は5曲入り1,000円。外出が憚られる昨今だが、夜にお酒を飲みながらしゆっくりと流れる時間を過ごすには良い楽曲を揃えたと自負している。



KILLOZOPHES


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